大分は元気です。
熊本地震の1回目のいわゆる「余震」から早3週間が経ちます。
熊本地震と名がつきましたが、私が住んでいる大分県別府市も「本震」の時に震度6弱の揺れを観測しました。
振り返って言えること。
地震発生時は何が起きたか理解するのに苦しんだ。そして怖かった。
でも別府の人の優しさにまた惚れた。留学生の優しさに感動した。
地震が起きた時の話はもうしません。あっちこっちでネットの記事等で目にしたのではないでしょうか。
でも大分県は悲しいことにテレビや新聞では熊本に比べたら全然報道されていなくて。でも「揺れた」ってことは流れていた。でも「揺れた」ってことばかりだった。
大分県は幸いないことに今回の地震で亡くなった方はいません。すごいことだと思います。震度6弱です。主に揺れた別府と湯布院は揺れた時は週末。いつも通り多くの観光客がいたのにも関わらず、街の人々や市の方々の迅速な対応のおかげで、大怪我した人もおらず、今日を迎えています。
街は確かに瓦が剥がれ落ちている場所もある、ブロック塀が崩れているところもある、石碑が倒れている場所もある、部屋にヒビが入っている家だってある、私の通っている立命館アジア太平洋大学だって地面が隆起していてあちらこちらがボコボコで正直危ない。
でも、
別府も湯布院も大分全体が観光客の皆さんを待っています。
大分県の産業は観光業がメイン。別府温泉、湯布院温泉、杵築の城下町、佐伯の海鮮、中津の唐揚げ、宇佐のアメリカかぶれ・・・たくさんの観光客の皆さんをおもてなしすることのできる体制が整っているのが大分県です。
「揺れた」ってことばかりが伝わってしまった大分県。このGWは大分県は稼ぎどきなのに、キャンセルの嵐。嵐どころか大嵐。例年のGWの賑やかな感じはないです。
震災が起きて、1週間くらいはホテルや旅館、観光施設はメンテナンスのために休業しているところが目立ちました。でも、実際は震災翌日から営業しているところもあります。何度でも言います。別府も湯布院も大分全体が観光客の皆さんを待っています。
別府温泉にはこの地震の影響はなく、今まで通りの別府八湯(8種類の泉質の異なる温泉)をみなさまに提供できたり、湯布院も湯の坪街道では今までと同じようにお客様に思い出を作ってもらえるような営業がされていると聞いています。
私が大分に来た理由は「別府に魅力を感じたから」。片田舎ではありますが、多くの街の人が当たり前のようにおもてなしをして、支えあって暮らしている、そしてその中には多くの外国人、留学生がいる。そんな街は世界中探しても別府だけなんじゃないかなって思います。
立命館アジア太平洋大学ができる時、「外国人はマナーが悪いから反対!」と言っていた人も多くいたと耳にしました。実際につい最近までも反対している市民の人もいたと聞きました。でも今回の震災で、留学生が大活躍したのも事実。
避難所で積極的に毛布や炊き出しを配布する留学生。
近くにいるおじいちゃんおばあちゃんに拙い日本語で話しかける留学生。
地震が起きてすぐに外国人が多く宿泊しているホテルにボランティアに行く留学生。
日本語で流された地震の情報を英語に翻訳してFacebookで世界に発信する留学生。
誰かが「やれ!」と指示したわけではない。自ら行動をしたんです。
地震がおさまってきた今、毎日余震はありますが、私たちは学校が始まりました。
地震が起きて1週間休講になりました。学校が再開された初日、キャンパスの真ん中には「お帰りなさい!」と学長を筆頭に職員さんたちが笑顔で迎え入れてくれるキャンパス、教室に入ると「大丈夫だった?」と笑顔やハグで再会を喜ぶ友人たちの姿、これが大分県です。
私たち学生は多くの観光客のみなさまをおもてなしするアルバイトをしている学生が多くいます。しかし、今回の熊本地震でお客様の足は遠くなり、アルバイトも需要がなくなり、お客様が戻るまでバイトができない学生も多くいます。
大分は元気です。
皆さんがもし大分を心配してくださるのなら、大分にぜひ足を運んでください。運んでくださったからには必ず皆さんにたくさんの思い出を提供します。そして「また大分に行きたい」と心から思ってもらえると思います。
美味しくて安い海鮮やお肉やお酒、気持ちのいい温泉、美しい海、壮大な山々、ずっと上を見ていても飽きないくらい広がる満天の星空、東京にも神戸にも負けないくらい綺麗な夜景、優しい留学生、優しい街の人々。
それが大分県です。
最後にもう一回。
別府も湯布院も大分全体が観光客の皆さんを待っています。
冒頭の写真は震災が起きて4時間後に避難所から見た空です。