地方に進学した東京出身の女子大生は私

大学進学を機に18年間住んできた東京から大分県に引っ越しました。

お金を稼げるいけてるブロガーになれなかったのでブログやめます

最近ブログを書いてもうまく文章も書けなくなり、書いてどうにかなるみたいなそんな有益なことをかけるブロガーでもないし、なんでやっているんだろうと思ったので、思い切ってブログをやめることにしました。

 

ブログを始めたのは小学校6年生くらいのとき。最初はアメブロでした。

偽名を使って、その辺の読モの写真をアイコンにして、アメンバー限定記事をつらつらとアップしていたブログ。笑

「はい、じゃあプリアップしま〜す!誹謗中傷禁止ね★卍」みたいなことを書いていたのが懐かしい。

 

中1のときに、所属していたNPOで行われる舞台の公式ブログを任せてもらうことになり、Seesaaブログでも書きはじめ、そのときもお芝居の役名で更新していたので私となんか世間一般に知られるはずもなく、黙々と毎週書いていました。

 

アメブロは高1あたりまで使って、そこでhtmlとかのカスタマイズ編集を覚えて、「あ、もっと自分でやりたい」と思ってwordpressに移行。インターンもしていたし、アクセス数も多くて、某記事は1万アクセスとかあって、Gunosyとかにも載って。当時高校生がwordpressとか使っているなんて聞かなかったから面白半分で皆さん見ていたんだと思う。

 

ただ、世の中の利便性に反して私の脳みそは停止してきて、wordpressが使いにくいと感じて、知り合いのおすすめもあってはてブロに移行。そして今に至る。

 

このブログ以外は全てもう削除済みで見ることはできません。

高校時代はたくさんインタビューをしたり、コラムを書いたりしていて、今よりも間違いなく文章能力が高かった。APUに入学するために提出した志望理由書の文章を見て、自分の文章能力の高さに感動しました。

 

お母さん世代とかにはブログをやっている意味なんて見出してもらえるはずもなく、「個人情報の流出」なんて思われていたかもしれない。(ちなみに私のブログはお母さんは見ていないようだったけれど、お母さんの同級生が見ているらしく、何度もネタにされた)

でもブログをやっていて出会った人や仕事、文章力やインターネットのスキルなどもあって、12歳くらいから9年間もやっていたブログ生活に終止符をもう打つのは少し寂しい気もする。

 

けれど、正直こんなの自己満の塊でしかなくて、書き方次第では自慢とかそんな風に思われないものだと思う。

ただ私のブログを楽しみにしているといった声や、外国人の友人からわかりやすい日本語だから日本語の勉強になるからいいといってもらえたりして、ものすごく嬉しくて、じゃあ書かないとって思っていた。でも書けなくなっていた。書かなかったんじゃなくて、書きたくなかったんじゃなくて、書けなくなっていた。

 

「ブログを書く」という作業に昔ほど大きな需要を感じなくなっていた自分がいて、

どちらかというと今は時代で「つぶやく」とか「スナチャする(写メる)」っていう作業の方が楽だし楽しい手段だと感じている自分がいた。

 

ブログって全然悪いものじゃないと思います。

ただ、今は時代が進んで、様々な方法で自己発信ができるようになった。ブログを選ぶ必要性が下がった。アメブロも需要が下がったからサイバーエージェントAWAとかAbemaTVとか新しい事業で攻め始めたんだと思う。

 

私の気持ちも思いっきりその需要に乗りました。だからこのブログで私のブログ生活は終止符でございます。

ただ、まだメディアに記事を書かせてもらえていたりするので、「書く」という作業をやめるつもりはありません。嫌いじゃないから。

 

このブログも気が向いたら削除しますね。私の他のSNS(Twitter Instagram)は@takaake0722でやっていますが、これらも削除するのは時間の問題かなと思っています。笑

 

ちなみに私は中学生のとき、学校から帰ると一番にアメブロを開いて、タレント〜友達まで全部のブログを1記事も欠かすことなくチェックしていました。それくらいブログが好きで、多分この時代に多くの興味を抱くようになって今、いろんなことに興味があるんだと思います。

 

でもそんな私もお金を稼げるブロガーにはなれなかった。(ブログでお金を稼ぎたいと思ったことはないけれど。笑)

今できることは何かを考えてみたハナシ。

最近、私のFacebookは私がプロデューサーを務めさせてもらった映画「雲の街」に関連するpostはシェアばかりですが、許してください。雲の街の凱旋上映まで2週間を切りました。
 

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正直な話、私が制作に携わったから見てほしいって思いは実はミリ単位くらいしかないんです。(無いに等しいやつ)
でもなんでこんなに宣伝して、多くの人に見てほしいのかって言ったら地震が起きる前の別府を見てほしいんです。
 
 
 
 
パッと見、全然変わらないです別府。お店も営業しているし、お客さんもいるように見えるし。
でも裏ではお客さんは減るに減っているし、街の顔も変わってしまっている部分もあって。雲の街はそうなる1ヶ月前まで撮影をしていた作品です。
 
 
 
 
撮影期間は多くの観光客の人の足をお止めさせていただきながら撮影をしました。多くの地元の人に協力をしていただきながら撮影をしました。そうやって出来た映画なんです。
 
 
 
 
最近は余震もぐぐーっと減ってきて、当たり前の日常に戻ってきましたが、それと同時に忘れられるんじゃ無いかっていう不安も大きいです。
 
 
 
 
これは私の肌感覚の話。
3,11の時は被災者として当事者になった人が多く、多くの人が被災地に出向いてくれていた。それは一般人の人だけでなくタレントさんとかも含めての話。
 
でも今回はそうなった人が3,11に比べたらとても少なくて、じゃあ誰がやるかってなった時に九州の人たちがすごくすごく頑張って、支え合っている、そんな感覚があります。
特に大きな被害を受けた熊本にはたくさんのボランティアが活動をしてくださっているのですが、大分は揺れが強かった割には目に見える被害は驚くくらい少なく、ただただ人が減った。
 
大分の人に関しては、外から来る人をとても待っていて。中の人のために!とかではなく、外から来てくれる人のためにおもてなしできることが中の人のためになる!って感じなんですよ。
 
 
 
だから、今回の雲の街の凱旋上映、もしよかったら別府以外の人にも見てもらいたいなって思ってます。それと同時に別府や湯布院など、もっと時間があるなら熊本で観光してみてほしいです。
 
この間、ウーマンの村本さんが別府に来て下さった時もこんなこと書いてくれていて。
 
 
 
 
映画の日程は6月18日の土曜日。16時開場、17時開演です。
本当は無料で上映すれば多くの人に来てもらえるキッカケの一つになったのかもしれ無いけれど、そうしたら赤字で、制作の元も子もなくなるので、一人1000円払って来てください。笑 
チケット渡せなくても取り置きもできます。チケットよしもとからも購入できます。
 
 
 
 
じゃあこの映画の上映会終わったら何するのって話を最後にしますね。
もっともっと多くの人に大分の魅力をPRしてから大分を離れたいので、大分が元気ってことを伝えるためにスマホ片手に3分だけのインタビュー動画を撮ることにしました。何が何でも3分。それ以上にもそれ以下にもしません。
それをYoutubeとかにあげていくので、よかったら見てください。この間思いつきで始めることにしたんで、ちょっと準備してます。笑
 
 
 
 
それくらい大分に来てほしいんだ!!!!!!!!
 
 

大分は元気です。

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熊本地震の1回目のいわゆる「余震」から早3週間が経ちます。

熊本地震と名がつきましたが、私が住んでいる大分県別府市も「本震」の時に震度6弱の揺れを観測しました。

 

振り返って言えること。

 

地震発生時は何が起きたか理解するのに苦しんだ。そして怖かった。

でも別府の人の優しさにまた惚れた。留学生の優しさに感動した。

 

地震が起きた時の話はもうしません。あっちこっちでネットの記事等で目にしたのではないでしょうか。

でも大分県は悲しいことにテレビや新聞では熊本に比べたら全然報道されていなくて。でも「揺れた」ってことは流れていた。でも「揺れた」ってことばかりだった。

 

大分県は幸いないことに今回の地震で亡くなった方はいません。すごいことだと思います。震度6弱です。主に揺れた別府と湯布院は揺れた時は週末。いつも通り多くの観光客がいたのにも関わらず、街の人々や市の方々の迅速な対応のおかげで、大怪我した人もおらず、今日を迎えています。

 

街は確かに瓦が剥がれ落ちている場所もある、ブロック塀が崩れているところもある、石碑が倒れている場所もある、部屋にヒビが入っている家だってある、私の通っている立命館アジア太平洋大学だって地面が隆起していてあちらこちらがボコボコで正直危ない。

 

でも、

 

別府も湯布院も大分全体が観光客の皆さんを待っています。

 

大分県の産業は観光業がメイン。別府温泉、湯布院温泉、杵築の城下町、佐伯の海鮮、中津の唐揚げ、宇佐のアメリカかぶれ・・・たくさんの観光客の皆さんをおもてなしすることのできる体制が整っているのが大分県です。

 

「揺れた」ってことばかりが伝わってしまった大分県。このGWは大分県は稼ぎどきなのに、キャンセルの嵐。嵐どころか大嵐。例年のGWの賑やかな感じはないです。

 

震災が起きて、1週間くらいはホテルや旅館、観光施設はメンテナンスのために休業しているところが目立ちました。でも、実際は震災翌日から営業しているところもあります。何度でも言います。別府も湯布院も大分全体が観光客の皆さんを待っています。

 

別府温泉にはこの地震の影響はなく、今まで通りの別府八湯(8種類の泉質の異なる温泉)をみなさまに提供できたり、湯布院も湯の坪街道では今までと同じようにお客様に思い出を作ってもらえるような営業がされていると聞いています。

 

私が大分に来た理由は「別府に魅力を感じたから」。片田舎ではありますが、多くの街の人が当たり前のようにおもてなしをして、支えあって暮らしている、そしてその中には多くの外国人、留学生がいる。そんな街は世界中探しても別府だけなんじゃないかなって思います。

 

立命館アジア太平洋大学ができる時、「外国人はマナーが悪いから反対!」と言っていた人も多くいたと耳にしました。実際につい最近までも反対している市民の人もいたと聞きました。でも今回の震災で、留学生が大活躍したのも事実。

 

避難所で積極的に毛布や炊き出しを配布する留学生。

近くにいるおじいちゃんおばあちゃんに拙い日本語で話しかける留学生。

地震が起きてすぐに外国人が多く宿泊しているホテルにボランティアに行く留学生。

日本語で流された地震の情報を英語に翻訳してFacebookで世界に発信する留学生。

 

誰かが「やれ!」と指示したわけではない。自ら行動をしたんです。

 

地震がおさまってきた今、毎日余震はありますが、私たちは学校が始まりました。

地震が起きて1週間休講になりました。学校が再開された初日、キャンパスの真ん中には「お帰りなさい!」と学長を筆頭に職員さんたちが笑顔で迎え入れてくれるキャンパス、教室に入ると「大丈夫だった?」と笑顔やハグで再会を喜ぶ友人たちの姿、これが大分県です。

 

私たち学生は多くの観光客のみなさまをおもてなしするアルバイトをしている学生が多くいます。しかし、今回の熊本地震でお客様の足は遠くなり、アルバイトも需要がなくなり、お客様が戻るまでバイトができない学生も多くいます。

大分は元気です。

皆さんがもし大分を心配してくださるのなら、大分にぜひ足を運んでください。運んでくださったからには必ず皆さんにたくさんの思い出を提供します。そして「また大分に行きたい」と心から思ってもらえると思います。

 

美味しくて安い海鮮やお肉やお酒、気持ちのいい温泉、美しい海、壮大な山々、ずっと上を見ていても飽きないくらい広がる満天の星空、東京にも神戸にも負けないくらい綺麗な夜景、優しい留学生、優しい街の人々。

それが大分県です。

 

最後にもう一回。

別府も湯布院も大分全体が観光客の皆さんを待っています。

 

冒頭の写真は震災が起きて4時間後に避難所から見た空です。